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”ピンクのカオマンガイ”現オーナーに訊く 王者の軌跡

”ピンクのカオマンガイ”現オーナーに訊く 王者の軌跡

2014年、バンコクのタイ料理店が海を越え東京へ上陸した。

——ガイトーン プラトゥーナム

正式な店名は『ゴーアン カオマンガイ プラトゥーナム(โกอ่างข้าวมันไก่ประตูน้ำ)』といい、従業員全員がピンクのポロシャツを着ていることから、通称「ピンクのカオマンガイ」と呼ばれているカオマンガイ専門店である。
この店がタイの観光ガイドブックに取り上げられた回数は数知れず、店の前には昼どきになると毎日大行列。バンコク観光の定番スポットのような存在と言って過言ではないだろう。
そんなピンクのカオマンガイが東京の渋谷で初出店を果たしたのだ。バンコク屈指の人気店が海を渡ってきたとあり、オープン当初、予想を上回る客足により行列ができたのは記憶に新しい。
それからというもの渋谷店を皮切りに、東京の新橋、大阪、福岡にも出店。2014年から2015年にかけ、「カオマンガイ」というタイ料理が、日本人の多くに知られるようになった時期である。

破竹の勢いを見せていたピンクのカオマンガイだが2017年に状況が変わった。バンコクの本店は日本のフランチャイズ全店と契約を解除。
渋谷店オープンの衝撃からたった3年だった。

本企画は三代目である現オーナー・エカポーン氏へのインタビューである。『ガイトーン プラトゥーナム』の歴史に始まり日本進出から契約解除にいたるまで、エカポーン氏の想い、そして今後についてなど、私が聞きたいことすべてをぶつけてみた。

海南島から渡ってきた創業主

カオマンガイの原型は、海南島出身の華僑が作った「海南(ハイナン)チキンライス」であると言われ、タイだけではなく東南アジア全域で同じような料理が広まっている。タイに華僑が増え始めたのは1800年代。潮州など広東省出身の華僑がタイへ渡り増え続け、1890年代に現在のヤワラート(中華街)の原型を形成していった。華僑でもっとも力が持っているのは潮州出身と言われているが、そのほか少数派ながら客家、福建、海南出身の者もタイの華僑には含まれている。
前述の彼らと同じく、海南島から渡ってきた1人の男がいた。『ガイトーン プラトゥーナム』の創業主であり、現オーナー・エカポーン氏のお爺ちゃんにあたる人物である。

「お爺ちゃんがタイへ来たときは、何もなく裸一貫だったそうです。カオマンガイ屋を始めたのはお婆ちゃんと出会い結婚してからでした」

創業したのは今から58年前の1960年。創業当初は店舗を持つことなく屋台を引き、プラトゥーナム周辺で営業していた。数年経つと開発が進み、営業していた場所にビルの建築が始まったことで、現住所で店舗を持つに至った。

『ガイトーン プラトゥーナム』が“ピンクのカオマンガイ”になった日

創業主が引退したのち、後を継いだのは彼の息子だった。そのころになると、周辺にカオマンガイの店舗が増え競合するようになっていく。二代目は考えた。他店との差別化を図るにはどうしたらいいのか。

「当時、まだ有名店でもなかったのでそれほどお金もありませんでした。そんな状況で私の父が考案したのが従業員のユニフォームを統一させることでした。お金がかけられないため、父が士官候補生時代に着用していた赤いシャツを持ってきて従業員に着させたのが始まりです。そのシャツの色がだんだん薄くなり、ピンクのような色になったことで、その後ユニフォームを作るときにピンク色を選んだというわけです」

二代目が謀った戦略は、数年後、予想だにしなかった成果を実らせた。店名よりもユニフォームの色をもじった“ピンクのカオマンガイ”という名が広まり、どのガイドブックにも載る有名店にのし上がったのだ。無論『ガイトーン プラトゥーナム』がこだわりを見せる質の高いカオマンガイがあってこそだが、二代目のマーケティング力がブレイクスルーへと導く一因であったことは確かだろう。

”ピンクのカオマンガイ”にはなぜこれだけ人が入るのか

カオマンガイとは鶏肉の茹で汁で炊いたご飯に、茹でた鶏肉を乗せただけのいたってシンプルな料理である。では『ガイトーン プラトゥーナム』のカオマンガイは他店と何が違うのか。

「私も今まで他店のカオマンガイをいろいろと食べ歩いてきました。違いがあるのは”タレ(ナムチム)です。使っている材料は他店とほぼ同じだと思いますが、作り方です」

『ガイトーン プラトゥーナム』を絶賛する理由の一つにタレを挙げる人は少なくない。初代が作り出したレシピは二代目が引き継ぎ、手を加えることなく創業当時の味をいまでも提供している。ただレシピは変わらずとも、材料は仕入先の事情によって変えざるをえないことも多々あったという。

「たとえば、タレに使うタオジアウ(タイ風の味噌)。昔は自家製のところから買ってたんですがそこが閉めてしまったんです。この時は新しい仕入先を探すのが大変でした。タレだけに限らず鶏肉や米もしかりです。ファームが鶏や米の販売を止めてしまったら別のファームを探さなければいけない。新しい材料により味を変えてはならないため、ファームや材料の選定には神経を尖らせています」

創業当時からの味を提供し続けるには、レシピを充実に守ってさえいればいいというものではない。時代の流れとともに材料の仕入れ先も変わり、材料そのものの質も変わっていく。『ガイトーン プラトゥーナム』はそういったさまざまな変化に対して的確に対応し、”ピンクのカオマンガイ”というブランドを数十年守ってきたのだ。

日本への進出と撤退、次なる展開

ーーあの”ピンクのカオマンガイ”が日本で味わえる。

ファンのみならず噂を聞きつけた人々は、渋谷に出店した『ガイトーン プラトゥーナム』に長蛇の列を作った。
ピンクのカオマンガイの上陸は、日本にカオマンガイブームを巻き起こしたと言っていいだろう。渋谷店に行列を作った勢いはとどまるところを知らず、2015年1月には福岡、同年6月には大阪の難波と矢継ぎ早に出店した。
このままの勢いが続けば日本各地へ飛び火し、ピンクのカオマンガイが全国区となるのは夢物語ではなかったはずだ。
しかし現実は真逆へと動いた。
2017年、『ガイトーン プラトゥーナム』は日本から撤退したのだ。出店場所の渋谷や大阪、福岡には、今でもピンク色の外観をしたカオマンガイ店があるが、系列店ではない。

「日本との契約は私の父が交わしました。日本への進出に対しては興味があったようですし非常に期待もしていました。しかし蓋を開けてみると、我々が提供しているカオマンガイとは違っていました。 レベルが低いというわけではなく来客数も上々でしたが、このまま進めていくと本店との差がはっきり出てしまう。将来的にどうなっていくかの不安が生まれてきたんです」

渋谷店オープンにあたり、当然日本側にはレシピが伝えられていた。しかし、気候や風土が異なるうえ同じ材料が入手できない日本では、たとえレシピ通りに調理しても『ガイトーン プラトゥーナム』の味を忠実に再現することは難しい。
そこをカバーするには調理人の経験や勘が必須だったが、それも足らなかった。
海外での出店の難しさを痛感したと言うエカポーン氏。しかしこの件があったからこそ、『ガイトーン プラトゥーナム』の新たな道が切り開かれていくことになる。

「実は2018年10月にシンガポールへ出店しました。連絡があった当初は断ったんですが4、5ヶ月間話し合いをして、出店する決意を固めたんです。このプロジェクトは父ではなく私がやっています」

シンガポールでの出店はエカポーン氏が担当し、開店まで1年も準備期間に費やしたと言う。
海外へふたたび進出した『ガイトーン プラトゥーナム』だが、タイ国内でも店舗を増やしつつある。
昨年、チョックチャイ4(Chokchai4)に2店舗目を、来年の1月にはビッグCラチャダムリの隣にオープン予定の『The Market』に3店舗目を出店する。

「『The Market』の支店では従業員の働き方からメニューまで、少し変えようと考えています。本店の調理場は小さいためカオマンガイ以外の料理を調理できませんが、ここではカオマンガイだけではなく他のメニューを増やしていく予定です」

満を持して進出した日本では3つの大都市に支店を展開したが、3年で撤退した。三代目の彼はその経験を生かし、慎重に話を進めシンガポールに出店。そして母国タイでも出店を進め、各支店ごとの個性を出そうとしている。
経営経験がない29歳の彼は、父親から多くのことを学んでいる最中だ。

「父親の本音は、僕にお店を継いで欲しくなかったんです。休みも取れないし大変ですから。でも僕は一人っ子ですし、継がなければやる人がおらずこのまま終わってしまうかもしれない。父親が頑張ってきた姿を小さい頃から見てきましたので、このお店にはずっと続いほしいんです」

父親から店の運営方法などを学びつつも、今の時代にあった経営スタイルを取り入れていきたいと彼は話す。
そう話し終えると彼は、ふと柔らかい表情を見せた。

「父親は毎日休むことなく、夜10時からお店に来て朝5時まで見ています。何十年もそういう生活を送ってきました。そんな父も今年で68歳。そろそろゆっくりしてもらいたいので、僕がすべてを見ようと思っています。」

日々来店する多くの方々に満足してもらうため、休みもまともに取ることなく、数十年もの間走り続けてきた。
70歳を間近にした今、店を継がせたくないと思っていた息子が、隣で共に汗を流してくれている。
世代を繋いで築かれてきた”王者の軌跡”。
今日も多くの人びとが、王者の味を求め来店する。

取材・文・写真/西尾 康晴

1974年生まれ大阪府出身。大阪と東京で雑誌編集者として勤務し、2011年にタイへ移住。バンコクで月刊誌の編集長を経て2017年4月にタイ国内旅行会社TRIPULL(THAILAND)Co.,Ltd.を起業し旅行メディアTRIPULLも運営。
Twitter:nishioyasuharu

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